バーデン大公国領

プロイセンバイエルンヴュルテンベルクザクセンメクレンブルク‐シュヴェリンヘッセンバーデンオルテンブルク
テューリンゲンブラウンシュバイクアンハルトリッペ‐デトモルトメクレンブルク‐シュトレリッツワルディック
スカンバープ‐リッペ
ハンザ同盟都市(リューベック・ハンブルク・ブレーメン)エルザス‐ロートリンゲン
ドイツ帝国

バーデン大公国【首都】カールスルーエ

フリードリヒ2世 1857年7月9日生~1928年8月8日没
Friedrich II ;Friedrich Wilhelm Ludwig August

フリードリヒ2世(在位1907年~1918年)は、バーデン大公国の第7代大公フリードリッヒ1世(在位1856年~1907年)とその妃であった
ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の皇女ルイーゼ・マリー・エリザベート(1838年~ 1923年)の長男
全名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・アウグスト

1857年7月9日カールスルーエで誕生、オーストリア‐ハンガリー帝国、プロイセン王国、ヴュルテンベルク王国で陸軍の将校として軍歴
を積んだ。1885年9月20日にルクセンブルク大公アドルフの大公女ヒルダ・シャルロッテ・ヴィルヘルミーネ(1864年 ~ 1952年)と結婚
したが、息子は生まれなかった。

フリードリヒ2世は、1907年9月28日にフリードリヒ1世が死去したことを受けて大公位に即き、父親の自由主義的な政治を継承した。
1918年に大公位継承者である従弟のマクシミリアンはドイツ帝国宰相に指名されたがドイツ革命を防ぐことはできず、フリードリヒ2世
は同年11月22日に退位した。

退位後はフライブルクで隠棲し、バーデンヴァイラーで1928年8月8日死去した。バーデン大公家当主の地位はマクシミリアンが嗣いだ。

バーデンには、9つの歩兵連隊、5つの野戦砲兵、1つの徒歩砲兵、3つの竜騎兵連隊、1つの工兵大隊、および1つの補給大隊があった。
これは第14軍を構成した。 擲弾兵109連隊と110連隊に加えて、歩兵111,112,113,114,142,169,170の各連隊。

ちなみに、ナチスドイツ時代にスターリングラード戦において第6軍の司令官としてソ連軍と戦った将軍パウルスが、若き将校(少尉)として
初めて配属されたのが第111歩兵連隊と云われている。

竜騎兵将校用ヘルメット 国家紋章
一般用(共通) 擲弾第109連隊プレート 予備役用