エルザス‐ロートリンゲン直轄領
プロイセン/バイエルン/ヴュルテンベルク/ザクセン/メクレンブルク‐シュヴェリン/ヘッセン/バーデン/オルテンブルク
テューリンゲン/ブラウンシュバイク/アンハルト/リッペ‐デトモルト/メクレンブルク‐シュトレリッツ/ワルディック/
スカンバープ‐リッペ/ハンザ同盟都市(リューベック・ハンブルク・ブレーメン)/エルザス‐ロートリンゲン/
ドイツ帝国
エルザス‐ロートリンゲン【首都】シュトラスブルク
ここはライヒスラント(=アルザス・ロレーヌ地方)として知られているドイツ帝国の領土でした。 プロイセン・フランス戦争(=普仏戦争)の戦利品の一部としてフランスから手に入れた領土です。 行政区の首長はシュタットハルターと呼ばれ、直接皇帝に報告を行いました。 ライヒスラント憲法は、1911年5月に、この地方独自によって制定されますが、主権者には、あくまでも軍の指令官が就きました。行政区内では、軍国化の色が濃く多くの連隊の保養所となっていました。
この地域の領民は(ドイツ人の立場から)必ずしも信用されていたわけではなく、非常に侮蔑的な的意味のある俗語で「ワッケ」と呼ばれていたことで当時知られていました。 ドイツ帝国に完全に吸収されたとはいってもかなりの部分で問題があったことは事実でした。この地域出身の兵士の逃亡率は、帝国内のどの地域のものと比べてもはるかに高かったため、教育前の新兵達は大抵の場合ライヒスラントとは別の地域に駐留する部隊に配属されました。
ライヒスラント内での軍隊と領民の間の緊張がピークに達した結果、非常に有名な事件が2件(ツァベルン事件とムルホース事件)起こりました。第99連隊はそれらの不名誉な事件を隠蔽し、ライヒスラントにはビルゼ中尉が着任することになります。
帝国の直轄地のヘルメットの多くが、植民地のものであると誤解されています。 一例として、将校用のヘルメットの写真を掲載します。
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