ザクセン王国領
プロイセン/バイエルン/ヴュルテンベルク/ザクセン/メクレンブルク‐シュヴェリン/ヘッセン/バーデン/オルテンブルク/
テューリンゲン/ブラウンシュバイク/アンハルト/リッペ‐デトモルト/メクレンブルク‐シュトレリッツ/ワルディック/
スカンバープ‐リッペ/ハンザ同盟都市(リューベック・ハンブルク・ブレーメン)/エルザス‐ロートリンゲン/
ドイツ帝国
ザクセン王国【首都】ドレスデン
Königreich Sachsen
フリ-ドリッヒ・アウグスト3世 1865年5月25日生~1932年2月18日没
(Friedrich August III;Friedrich August Johann Ludwig Karl Gustav Gregor
Philipp)
ザクセン王国第7国王(在位:1904年~1918年)
ゲオルク1世とその王妃であったポルトガル女王マリア2世の王女マリア・アナ(1843年 ~ 1884年)の長男
全名はフリードリヒ・アウグスト・ヨーハン・ルートヴィヒ・カール・グスタフ・グレゴール・フィリップ
1865年5月25日ゲオルク1世の第4子としてドレスデンで生まれた。
1891年ウィーンでトスカーナ大公フェルディナンド4世の大公女ルイーゼ(1870年~1947年)と結婚し、三男四女(うち1人死産)
をもうけた。
1902年12月から二人は別居するようになり、1903年2月11日に離婚する。
1904年父王の死去によって王位に即いた。フリードリヒ・アウグスト3世
1912年9月11日に陸軍元帥に任命される。
1918年のドイツ革命により退位し、その後はシュレージェンのOelsのSibyllenort(現在はポーランドのドルヌュイ・シロンスク県
オレシニッツァ郡のSzczodre)で隠棲した。
1932年2月18日に同地で死去したが、遺体はドレスデン宮廷教会に葬られている。
長男フリードリッヒ・アウグスト・ゲオルク(1893年 ~ 1943年)は聖職者への道を選んで王位継承権を放棄したため、ヴィッティン
家の当主の地位は次男のフリードリッヒ・クリスティアン(1893年 ~ 1968年)が嗣いだ。
ザクセン王国の軍隊
1.12軍 擲弾兵第100連隊
2.カイザーヴィルヘルムプロイセン王擲弾兵第101連隊
3.12軍 ルートヴィヒ3世王・フォン・バイエルン歩兵第102連隊
4.12軍 歩兵第103連隊
5.14軍 ザクセン皇太子 歩兵第104連隊
6.14軍 ヴィルヘルム2世・フォン・ヴュルテンヴェルク王国 歩兵第105連隊
7.14軍 ゲオルク王 歩兵第106連隊
8.14軍 ヨハン・ゲオルク王子 歩兵第107連隊
9.12軍 ゲオルク王子 フュ-ジリア(小銃射撃兵)第108連隊
10.14軍 歩兵第133、134、139連隊
11.12軍 歩兵第177、178連隊
12.14軍 歩兵第179連隊
13.13軍 ヴュルテンベルク歩兵第180連隊
14.14軍 歩兵第181連隊
15.12軍 歩兵第182連隊
ゲオルク クザクセン皇太子 |
フリードリヒ・クリスティアン王子 ドイツ陸軍においてプロイセン、バイエルンに次ぎ3番目に大きな軍隊組織を持っていたにもかかわらず、自身の貴賎結婚によって彼は軍人として自分の役職や地位を失うことになります。 |
M1871/1899タイプ | M1895タイプ |
将校用 | 一般兵用 |