バイエルン王国領
プロイセン/バイエルン/ヴュルテンべルク/ザクセン/メクレンブルク‐シュヴェリン/ヘッセン/バーデン/オルテンブルク/
テューリンゲン/ブラウンシュバイク/アンハルト/リッペ‐デトモルト/メクレンブルク‐シュトレリッツ/ワルディック/
スカンバープ‐リッペ/ハンザ同盟都市(リューベック・ハンブルク・ブレーメン)/エルザス‐ロートリンゲン/
ドイツ帝国
バイエルン王国【首都】ミュンヘン Königreich Bayern ル-トヴィヒ3世 1845年1月7日生~1921年10月18日没 バイエルン王国は1180年から1918年までウィッテルスバッハ家によって統治されました。 |
当時のドイツ帝国【=プロイセン】支配下における元来各諸侯が保有していた軍隊組織の再編成に際し、特にバイエルン陸軍についてはプロイセン陸軍とは異なった独自性を重んじる余り、若干混乱を招いています。彼らは、ピッケルハウベの採用(右記参照)に際しても、プロイセン王国特有な形状を一方的に踏襲するのではなくババリアの軍隊とプロイセンの軍隊との間に一線を引きその違いに固執していました。その最たることは、バイエルン軍では元々、第一軍団から第三軍団と一つの予備役軍団の計4つの軍団を有しており、ドイツ軍編成時の附番において、バイエルン出身の軍隊である事を明記した上で、それら全てがドイツ第6軍司令官バイエルン皇太子ルプレヒトの直属の指揮下に置かれるような措置がとられた事でした。 ちなみにナチス時代に参謀総長を務めたフランツ・ハルダー上級大将は、ルプレヒト・フォン・バイエルン皇太子軍集団(第6軍)の参謀を務めています。 |
【解説】バイエルンヘルメットの特徴
2タイプのピッケルハウベのツノ 1. バイエルンの砲兵は終戦まで球状ではなく先の尖った頭飾りを使用しました。【※1】 2. すべての将校用ヘルメットの飾りアゴひもは、ラウンドタイプ(丸味を帯びた)のウロコ状の飾りアゴひもで統一しました。 3.前部プレートに関する詳細事項として、以前のヘルメットに付けられていたものより大きく、凝った作りになっていることが分かります。【※2】 4. バイエルン将校用ヘルメットが将官用として時々市場で見ることがあります。 |
プロイセン砲兵 | 【※1】バイエルン砲兵 |
ツノ飾りの参考写真 | |
共に将校用 |
旧(左)(中)/新(右)共にバイエルン歩兵用ヘルメット | 【※2】 | |
前部プレ-トの新旧の比較参考写真 |